コロナ禍の今年4月1日、本学芸術学部美術科日本画コースの専任講師として着任するため、約5年間住んでいた埼玉県久喜市を離れ、3月下旬に山形市内に越してきた。
生まれは群馬県前橋市。高校までは父の仕事の都合で群馬県内を転々として、その後大学入学のため神奈川へ。ただ大学の校舎が2年生までは横浜市戸塚区、3年生以降は港区白金台とわかれていたものだから、在学時だけでも住居を2度変え、大学院を出てからも、東京、神奈川、埼玉と引っ越しを繰り返している。転居の数は転職の数と関わって、都内のギャラリー、都内の公立美術館、群馬県内の公立美術館と続き、芸工大は勤務先としては4つめだ。専門は日本近現代美術史、キュレーションである。
自己紹介しつつなにを言いたいのかというと、転居?転職の多い人生だが、東北?山形に住むのははじめてだということだ。もっとも、山形をはじめ、東北地方に来たことは何度もある。美術館やギャラリーなどで展覧会を見るためだ。
私の母校?明治学院大学文学部芸術学科の指導教官?山下裕二(やました?ゆうじ)先生は、とにかく、「足を使いなさい」とおっしゃる先生だった。つまり、美術を研究するということは、なにより作品がある現場を訪れ、もの(作品、資料)を見ることからはじめなければならない。山下先生が多忙ななか足繁く日本各地(ときには海外も)を飛び回る姿に、学生時代の私はおおいに影響された。だから、見たい、あるいは研究上見なければならない展覧会が開催されているならば、それが多少遠くても国内であればどこであれ見に行く。そういう癖がついた。
限られた時間で複数箇所を見て回るために、朝一から動き出せる夜行バスを学生の頃からよく使ったものである。だからつい山形でも、夜行バスの発着点がある山形駅近くに引っ越したのだった(けれども、あいにくコロナ禍により利用できていない)。
私のキュレーションや批評、研究は、移動し、誰かや何かと出会ってこそはじまる。
そのため、大学食堂で昼食をとろうとしたところ広報課?須貝さんがあらわれ、「小金沢先生に何か連載をお願いしたい」と声をかけられたとき、これは私が山形をはじめ東北の美術を勉強するいい機会だと思われた。しばらく考えて決めたタイトル「東北藝術道」は、「トウホクゲイジュツドウ」と読む。藤子?F?不二雄の名作『まんが道』を思い出す人もいるかもしれないが、あれは「マンガミチ」だ。どちらかというと「東北自動車道」(トウホクジドウシャドウ)の駄洒落である。美術にかぎらず、これは芸術ではないかというものを、足を使って見つける、出会う。出会えないこともあるかもしれないが、まず重要なのはやはり「足を使う」ということである。その経験がいつか「道」を作るかもしれない。私はまだその道を知らない。
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さて、道なき道を行かんとする「東北藝術道」を本格的にはじめるのは次回以降として、今回はこの連載のロゴについて紹介したい。制作してくれたのは、本学芸術学部美術科日本画コース卒業ののち、2015年3月、本学大学院日本画領域を修了した多田さやか(ただ?さやか)さん(1986年生まれ)である。現在は東京で作家活動を行っている。
私が山形をはじめて訪れたのは、2009年、着任1年目と間もない三瀬夏之介(みせ?なつのすけ)先生 が肘折温泉でのプロジェクト「ひじおりの灯」に参加されたときのことだった。三瀬先生に案内していただき、肘折で拝見した作品からは、それまで関西を中心に発表をしていた三瀬先生がこれから東北を拠点とすることの気概が感じられた。
三瀬先生が鴻崎正武(こうざき?まさたけ)先生 とともに開始した東北の美術を考えるプロジェクト「東北画は可能か?」にも興味を抱いた私は、以来たびたび山形を訪れ、特別講師として呼んでいただくようになってからは、学生のアトリエ見学などもさせていただいていた。
多田さんはまさにその頃の学生で、作品に注目した私は、とある雑誌で個展(「春と修羅」新宿眼科画廊、2012年)について批評を書いたこともある(小金沢智「破壊と混沌の極北から」『月刊ギャラリー』2012年6月号)。
連載といえばロゴだろう、と(なかば勝手に)考えた私が、まっさきに思い浮かべたのが多田さんだった。
山形に生まれ、神奈川で高校生から浪人生までを過ごし、2009年4月芸工大に入学した多田さんの作品には、東北的なものがずいぶんと入り込んでいるように当時から思われた。それは蔵王の御釜、岩手出身の詩人?宮沢賢治のシルエットや詩など、東北の具体的な事物がモチーフになっているだけではなく、空気感のようなものだ。
私はそれを、多田さんの学生時代からいまに至る作中で、(私が考えるには)象徴的に用いられている、いくつもの青の色彩に感じる。透明度の高いものから低いものまで、いわば晴れわたる青空から漆黒の夜空までの幅を持つその青は、山形に越してきていっそう、作品とこの土地の風景との重なりを私に感じさせる。
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さて、制作を快諾してくれた多田さんには、連載の趣旨はもちろん、イメージソースとして、東北自動車道の看板をはじめ、「道」が主題の作品群としては藤子?F?不二雄『まんが道』、洋画家?岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生) 》(東京国立近代美術館蔵、1914年)、日本画家?東山魁夷《道》(東京国立近代美術館蔵、1950年)などもあるかもしれないなどと話をしていたのだが、できあがったものがそれとはまったく違うのが素晴らしい。
途中、どうなるだろうと進捗が気になった私から多田さんに連絡すると、まず送られてきたのが、東北六県の形をレーザーカットしたパネルだった。ここに東北由来のモチーフなどを描き、屋外で撮影、その写真にロゴをはめ込むのだという。近年、多田さんはこうした変形パネルを支持体に制作し、完成ののち屋外で撮影してSNSで発表するということを行っているが、今回もその流れにあるということか。作品名は《Campanella》(2020年)、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の登場人物?カムパネルラからに違いない。
ここで、であるならば、ぜひどこか実際の「道」(路上)で撮影をしてはどうかと私から話をし、最終的に送られてきたのが、東京都文京区湯島にある“MUSIC BAR 道”の店内で撮影された以下の写真である。「そういう意味じゃない」と一瞬思ったが、聞けば、上野周辺で撮影場所を探していて偶然見つけたお店なのだという。音楽が好きで、2014年には山形駅西口のレコードショップRaf Recで個展「ATLANTIS」をし、CDブックレットサイズの作品集を作っている多田さんだからこその、アーティストの嗅覚だったのかもしれない。
ここに何が描かれているか? 私にはわかるものもあるし、わからないものもある。それは私が東北という場所をまだまだ知らないこととも関わるはずだから、敢えて本人に聞こうともしない。
けれどもここで書いておく必要があるのは、1匹の猫がいることだ。
注目して欲しい。彼女の名前はジャンゴ。2013年頃、突如として芸工大にあらわれ、以来学内に住み着き、学生?教職員はもちろん近所の方からも愛されながら、コロナ禍で学生のほとんどいない6月末、亡くなった猫だ。写真ではわかりにくいが、ジャンゴの部分は本体とは別に作られ、裏側には磁石がつけられ、《Campanella》内を移動できるようになっている。「猫が散歩するように、縦横無尽で気ままに東北を旅するイメージ」からそうしたのだという。
さぁ、旅の、「東北藝術道」(トウホクゲイジュツドウ)のはじまりである。
お付き合いいただきたい。(続く)
(文:小金沢 智)
小金沢 智(こがねざわ?さとし)
東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース専任講師。
キュレーター。1982年、群馬県生まれ。2008年、明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士前期課程修了。専門は日本近現代美術史、キュレーション。世田谷美術館(2010-2015)、太田市美術館?図書館(2015-2020)の学芸員を経て現職。
「現在」の表現をベースに据えながら、ジャンルや歴史を横断するキュレーションによって、表現の生まれる土地や時代を展覧会という場を通して視覚化することを試みている。
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