180年前のお湯の記憶[山形ビエンナーレ2024私的随想録⑥]|連載?小金沢智の、東北藝術道 #08

コラム

現在、蔵王温泉には3つの共同浴場がある。上湯かみゆ」、「下湯しもゆ」、「川原湯かわらゆの3カ所で、上湯、下湯は高湯通り沿い、川原湯は湯の香通りから入ったところに位置している。いずれも無人で、通年で6時から22時までオープンしており、入浴料金は大人200円、子ども100円で入浴できるのだからすごい(ただし、洗い場はないため注意)。

 
東北藝術道8
下湯共同浴場 撮影:2023年8月31日
   
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上湯共同浴場 撮影:2023年8月31日
   
東北藝術道8
川原湯共同浴場 撮影:2024年6月9日
 

蔵王温泉へはじめて来た人には、ぜひ、すべて入ってそれぞれの違いを楽しんでもらいたいが、これまで私は、「上湯」「下湯」と続いて、なぜ、「川原湯」なのだろう、と不思議に思っていた。場所としても奥まったところにあって、なんというか、上湯、下湯と俺は違うぞ、という雰囲気がある。お湯がとてもよくて、好きな共同浴場なのだが。

 
東北藝術道8
《山形縣下真景圖會》(部分)1880年
 

まさかこんな街中に、なんの囲いもなく温泉浴場があるとは、現代の常識ではにわかに信じられない。そのため、濁して書いてしまったが、ここが間違いなく温泉であるということが、別の資料から明らかになった。

 
東北藝術道8
《羽州村山郡高湯温泉之図》1844年
 

この《羽州村山郡高湯温泉之図》(1844年)は、画面左に「天保十五辰年」と書いてあって、西暦では1844年のこと。江戸時代の木版画である。「画」は「東都 甲教舎良山」、「板」は「高湯 若松屋長右衛門」とあり、高湯の若松屋長右衛門が発行人となって、江戸(東都)の甲教舎良山へ依頼して描かせたものということだろう。古書の一括検索サイトで「高湯温泉」で検索していたところ、発行年不記載のこの資料が出てきたのだが、まさか江戸時代のものだとは思わず注文した。

そして、《羽州村山郡高湯温泉之図》をじっくり見ていると、中央に、「大湯」と書かれている場所がある。

 
東北藝術道8
《羽州村山郡高湯温泉之図》(部分)1844年
 

湯気で煙っているような表現もされていて、これはもう、まごうことなく温泉浴場である。やっぱり温泉だった!という発見の喜び。さらに、視線を画面の右側に向け、奥まったところを見ると、「川原ゆ」が見つけられる。そう、「川原湯」は、少なくとも天保時代からその名前が付けられていたのだ。ならば、川原湯は、現在の蔵王温泉の共同浴場へと繋がるその歴史の一端を担っていると言えるのかもしれない。

 
東北藝術道8
《羽州村山郡高湯温泉之図》(部分)1844年
 

ここで、前回紹介した朝一規内《高湯温泉場全圖》(1901年)を再び見てみると、なんと、「大湯」があるではないか! 気づいていなかった。ただ、《山形縣下真景圖會》(1880年)から20年余りを経て、しっかり「囲い」に覆われている。近代化に端を発する法的な規則の整備によって、江戸時代以来の公衆浴場は明治時代に大きく変容していくわけだが(例えば、江戸時代の公衆浴場は男女混浴であった)、この資料から窺い知ることができるのは、東京といういわば中央から距離のある東北の高湯温泉では、ようやく明治半ばにそれらが整っていった、ということだろうか。

 
東北藝術道8
朝一規内《高湯温泉場全圖》(部分)1901年
 

そして、朝一規内《高湯温泉場全圖》(1901年)も画面の右へと視線を移していくと、「川原湯」がある。隣には「川原屋」があって、この時期には、旅館も併設していたということだろうか? あるいは、経営は違っていても、「川原」という名称が同様に用いられるほど、「川原湯」は一般的に知られていたということかもしれない。

 
東北藝術道8
朝一規内《高湯温泉場全圖》(部分)1901年
   
東北藝術道8
自噴温泉?すのこの湯 かわらや 撮影:2024年6月9日
 

伊東五郎編『蔵王五十年の歩みとスキーの発達』(山形市蔵王クラブ、1967年)には、「蔵王温泉史年表(明治以後)」が編まれていて、大正12(1922)年の事項に、「川原川改修(以前堀久旅館前を通る)」と記載されており、川原湯との関係が推察される。近くを流れる川の名を川原川といったのだろうか。現在、蔵王温泉にその名前の川を見つけることはできない。

また、昭和16(1941)年の事項に、「共同浴場下湯建設」とあって、その後、昭和37(1962)年までの事項が書かれているこの年表に、「共同浴場上湯建設」「共同浴場川原湯建設」の記載は見られないことから、共同浴場下湯が、最も古い共同浴場であるということだろうか。このあたりのことを深く調べるには、私には資料が足りない。

ともあれ、「お湯の記憶」というものがあるのではないか、と言ってみたくなる。そしてそれは、この場所——すなわち、かつては高湯温泉と言い、現在は蔵王温泉と言うこの場所で眠っているのだと。

 

(文?写真:小金沢智)

 

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小金沢 智(こがねざわ?さとし)
小金沢 智(こがねざわ?さとし)

東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース専任講師。
キュレーター。1982年、群馬県生まれ。2008年、明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士前期課程修了。専門は日本近現代美術史、キュレーション。世田谷美術館(2010-2015)、太田市美術館?図書館(2015-2020)の学芸員を経て現職。
「現在」の表現をベースに据えながら、ジャンルや歴史を横断するキュレーションによって、表現の生まれる土地や時代を展覧会という場を通して視覚化することを試みている。