歴史遺産学科Department of Historic Heritage

大井孝充|宮城県名取郡生出村について
宮城県出身
岡陽一郎ゼミ

目次 1.研究目的/2.模範村と地方改良運動について/3.生出村とその村是について 現状の部 参考の部 将来の部/4.宮城県名取郡生出村村是実行成績書による生出村の評価/5.稲取村、源村との比較/6.総括

 かつて宮城県に存在した生出村という村は、日本三大模範村に選出された村として全国にその名を知らしめていたと伝えられている。しかし、日本三大模範村に選出された村という部分のみが強調され、村の実態がどのようなものだったのか、そもそもなぜ日本三大模範村に選出されることとなったのか、といった部分にはあまり触れられておらず、それらは不明瞭なままとなっている。そこで、本研究では生出村の実態の解明と生出村が日本三大模範村へ選出されることとなった要因の考察とし、それらについて調査したいと考える。
 そもそも、日本三大模範村は、地方改良運動で行われた活動の一つである村是調査による模範村の選出から発生した。この活動で模範村に選出された千葉県山武郡源村?静岡県賀茂郡稲取村と合わせ、内務省が日本帝国自治ノ三模範村として報告を行ったことを、自治之模範などの官報によって取り上げられたことによって呼ばれるようになったものである。そのため、模範村に選出された要因を考えるためには、地方改良運動についても考えておく必要がある。地方改良運動については、研究が盛んに行われており、その詳細を確認することができる。ここでは、先行研究を用いてその内容を整理していきたいと思う。この地方改良運動の実施は、戊申詔書の発布を受けた内務省による五回にわたる地方改良事業講習会の開催から始まる。この講習会が目的とする地方改良は、町村制によって合併した町村の自治運営のための支配体制の整備や地方財政の整理や改善を行うことと、経済殖産の開発や教育の充実、風紀の向上、勤倹貯蓄の奨励の二つの目的があった。そしてこの目的は「至誠」を基本とし、「勤労」「分度」「推譲」を実行するという考え方をする経済思想の報徳思想と類似していたため、その思想は地方改良運動に取り込まれることとなった。この運動は日露戦争後の地方町村の政治経済体制の基盤安定、地方公共団体?農村の自治制度の補強を目的とした。