文芸学科Department of Literary Arts

イワナの餌
佐藤光樹
山形県出身 
池上冬樹ゼミ

<本文より抜粋>
陽炎が景色を巻き込み、揺れている。思わずくらっとするほどの熱気は、車内から出て三分もしないうちに、私の額に汗を浮かべさせた。しかし、それにもすぐに慣れた。緑の山肌から滑り降り、同じ色の田んぼの上を走って吹き込む風が、シャツの裾をはためかせる。立ち寄った道の駅は、他には銀のコンテナを背負ったトラックと、数えるほどのミニバンだけが止まっている。道の駅は、市内から出てすぐの場所にあった。市内から外に出るときは、休憩が必要なほど疲れもせず、他所から来るにしても、寄らずに街に入ったほうが早い。ウィンカーを挙げ、ハンドルを切った優次は、久しぶりにいいじゃないか、と言っていた。私はその日焼けした横顔を見ながら、記憶を懸命に掘り起こした。「じいちゃんに連れられて、海に行ったときか」優次は不意打ちにあったような驚きに満ちた目で、私の顔をまじまじと見た。「意外だ。兄貴のことだから、絶対に忘れているものだと思っていた」「中学校くらいのときだろう。流石に覚えている」「小学生の頃だよ」「義務教育ならだいたい同じだ」「うちの兄貴は、中学でも算数をしていたのか」そういえば苦手だったね、とこっちを向いて笑う優次に、私は減点を告げた。話題の転換についてこれず、優次は首を傾げる。「わき見運転は二点だったな」と言うと、座席シートに深く座り直し、これ見よがしに溜め息を吐いた。「うちの兄貴は、おまけに、大人げない」「駐車も見ているからな」「こんなに早く本免許が欲しいと思ったことはないよ」口ぶりとは裏腹に、優次の駐車はお手本のように綺麗だった。特別感心はしない。子供の頃から優次は、物事をそつなくこなした。きらびやかな天才肌、というわけではなく、ちゃんと必要な努力をして、それが実を結ぶ。高校の帰り際、部員と混じり、ノックの練習をしている様をよく見た。夕日のなかでバットを振り抜き、一瞬遅れて鳴る高音。仲間たちと互いに鼓舞する声も聴いた。甲子園、とまでは行かなかったようだが、惜しいところまでは行った、と聞いている。図書室の隣にある文学部に入りびたり、そこを放課後の根城にしていた私は、その姿に少しばかりの羨望を抱いていた。「でもさ、兄貴」左斜め後ろを確かめて、車体をゆっくり白枠へ納めながら優次は、私に問いかけた。